不動産業は、地域と家族の未来を耕す「土壌」である―38年の教員生活を経て挑む、コミュニティ再生への道
教室という「点」では救いきれない、家庭という「線」の現実
私の歩みは、38年間にわたる中学校の理科教諭としての歳月とともにあります。22歳で教壇に立ってから60歳の定年を迎えるまで、一貫して教育の現場に身を置いてきました。理科という教科を担当しながら学級担任も務め、1クラス38人ほどの生徒たちを預かる日々。そこには、教科書を教えるだけでは決して解決できない、切実な「現実」が常に横たわっていました。
長年、生徒や保護者と深く向き合う中で痛感したのは、学校という場所の無力さです。トラブルを抱える子ども、深い悩みを抱える子ども。その背景を探っていくと、そこには必ずと言っていいほど、家庭の困窮や親自身の苦悩、そして地域社会からの孤立がありました。一生懸命働いているが経済的に厳しい家庭、経済的には安定しているが、多忙ゆえに子供に関わる時間がとれない両親、複雑な家庭事情から祖父母が孫を育てているケース、かつて家庭訪問で目にした、誰にも頼れず育児ノイローゼに陥る親たちの姿は、今も脳裏に焼き付いています。
どれほど学校が手を尽くしても、子どもたちが帰る「家」と、それを包む「地域コミュニティ」が安定していなければ、本当の意味で彼らを救うことはできません。「親が自身の人生を全うでき、そのもとで子どもたちが安心して過ごせるような場所を作りたい」。教育現場を去る日が近づくにつれ、私は確信しました。次のステージは、学校の外側から、家族全体を支える「仕組み」を創ることに捧げよう。隣人が誰かも分からないような希薄な地域社会を、もう一度温かな「コミュニティ」へと再構築する。それが私の目指すべき道となりました。
60歳からの再出発、あえて「不動産業」を選んだ理由
38年間の教職にピリオドを打った後、そこで「ゆっくり休む」という選択肢は私の中にはありませんでした。退職後、何から手をつけて良いか模索する中で、まず身を投じたのは、地域食堂などのボランティア活動。そこで出会った多くの賛同者とともに、空き家を活用して近隣住民が集まれる場所を提案したのが、現在の「コミュニティハウス」の原型です。ここで、一つの大きな決断をしました。それは、この活動を単なる「ボランティア」として終わらせないことです。ボランティアは尊い活動ですが、それを担う個人の善意がくじけた瞬間に、その仕組みは瓦解してしまいます。社会の課題を継続的に解決していくためには、経済の仕組みの中で自立し、循環するシステムでなければならない。「アパートの中に、信頼できる大人がいる」「近所の人が自然と集まれる」。そんな場所を創り、管理し、人を繋いでいくのは、誰の役割か。そう考えたとき、答えは「不動産屋」にありました。住まいという人生の基盤を扱う不動産業こそが、コミュニティ創りの仕掛け人になれるはずだと確信したのです。
退職した年の11月、私は宅地建物取引士の試験を受験し、合格を手にしました。しかし、資格を取っただけでは実務はできません。自分一人の力で会社を立てる知識もなく、かといって組織やノルマに縛られる会社員になれば、大切にしているボランティア活動は継続できない。模索する中で出会ったのが、RE/MAXの求人広告でした。そこに書かれていた「毎日の出勤義務がない」という言葉。RE/MAXについては全くの無知でしたが、RE/MAX ANNA HOUSEの佐々木オーナーと出会い、その自由な働き方に触れた瞬間、「ここなら私のやりたいことが全て実現できる」と直感し、加盟を決めました。
未経験からのスタートは、想像以上に険しいものでした。教員時代には縁のなかった名刺の受け渡しから、不動産業界特有の常識、専門用語に至るまで、文字通り右も左も分からない状態。案件が重なるときは、朝から晩まで、それこそ「1から10まで」佐々木オーナーに相談する日々が続きました。この「いつでも相談できる環境」があったからこそ、私は未経験という壁を恐れず、地域の皆さんのために走り始めることができたのです。
地域に根を張り、顔の見える関係から生まれる「信頼の連鎖」
私のエージェントとしての活動スタイルは、一般的な不動産業のイメージからは想像もつかないものかもしれません。私の集客の柱は、ネット広告やポスティングではなく、地域に根ざした活動そのものから生まれます。
私が住む千葉県木更津市の団地は、住民の多くが75歳以上の高齢者です。デジタルな情報よりも、実際に顔を合わせ、地域のために汗を流す姿こそが、何よりの信頼の証となります。
現在、自治会の副会長を務め、地域食堂の運営も継続しています。さらに「大久保キャッツアイ」という地域猫活動のグループを立ち上げ、地域猫の去勢・避妊手術を支援する活動を行っています。この活動に、不動産エージェントとしての強みを掛け合わせました。資金難に悩む地域猫活動のチラシに、自分自身のエージェント広告を掲載したのです。一見、不動産とは無縁に思えるこのチラシが、驚くべき効果をもたらしました。チラシを見た住民から「額賀さんなら」と、空き家となった実家の売却や、相続に関する相談が舞い込むようになったのです。また、高齢者が多い地域特性に合わせ、相続鑑定士の資格も取得しました。名刺に刻まれたその肩書きは、周囲の人々が安心して心を開くための鍵となっています。昨年12月には、近所で発生した火災現場で人命救助を行い、表彰をいただきました。
私にとって、人命救助もボランティアも、不動産の橋渡しも、全ては「この街を守り、より良くしたい」という一つの想いで繋がっています。不動産業を単なる「物件の仲介」としてではなく、地域の「困りごとの相談窓口」として活用する。この独自のスタイルこそが、私というエージェントの存在意義です。

「先生には、夢があるんだ」――あの日、教室で交わした教え子との約束
私が不動産エージェントを続ける理由は、不動産業を「世の中の問題を解決するための最強の架け橋」だと信じているからです。不動産業者は、どこに、どのような人をマッチングさせるかを担う存在です。その力は、単なるビジネスの枠を超え、世の中を変える力を持っていると私は確信しています。空き家問題、耕作放棄地の活用、そして高齢者の孤独。日本の社会が抱えるこれらの課題は、不動産の知見と地域への想いが掛け合わさることで、必ず解決の糸口が見つかるはずです。教員として最後に教壇に立った日。私は担任していたクラスの教え子たちに、ある話をしました。
「先生にはね、夢があるんだ。みんなが大人になって、いつか親になって子育てをする頃には、今よりももっと世の中が子育てしやすい社会になっていてほしい。先生は、そういう社会になっているといいなと思っているんだ。」
あの日、子どもたちと交わした約束が、今の私の揺るぎない原動力です。親の責任ばかりが問われるのではなく、地域のおばちゃんが共に子どもを見守る。そんな温かな風景を、不動産という手段を通じて一つでも多く創り出したい。もし、今からエージェントを目指そうとしている未経験の方がいるなら、伝えたいことがあります。不動産業は、あなたのこれまでの人生経験のすべてを力に変え、社会に貢献できる素晴らしいポテンシャルを持った仕事です。会社やノルマに縛られず、自分の時間を大切にしながら、自分の頑張りがダイレクトに跳ね返ってくる。私はこれからも「不動産エージェント」という看板を背負い、地域の「先生」であり「伴走者」として、あの子たちが親になる未来を耕し続けていきます。不動産業は世の中を変える力がある。その目線を忘れず、私は今日も、この街の人々の声に耳を傾けます。

