STORY

止まらない毎日――見つけた仕事は『エースで4番』
RE/MAX APEX 北田 晃司REMAX×STORY

エージェント

■エージェント仲間と(本人:左)

私の新卒時代は超就職氷河期。

選んで入るなどという贅沢は言っておられず、特に強い志望動機もなく、社会人生活は始まりました。

入ってみると、いわゆるブラック企業…(笑)。営業職で2年は頑張りましたが、生活を変えようと発起し、退職することに。

そして、次のキャリアとして選んだ先は自由の国、アメリカ!!
いきなり?って思いますよね…笑。

実は、英語のテストはいつもクラスで一番だったので英語を使った仕事に興味があったんです。そしてネットで寿司職人の仕事を見つけたので応募し、アメリカのマサチューセッツ州に渡りました。

しかし、行ってすぐに鼻をへし折られましたね(笑)。英語は得意だと思って自信満々に渡米しましたが、現地で生活するには程遠いレベルだったんです…泣。

まぁ、よくある話ですが…。

ただ、寿司職人として働く前に半年間英語学校での準備期間があったので、なんとか仕事の応対で困らないよう必死で勉強しました。

寿司職人の仕事は、職人といえど日本のように本格的に修行することはなく、業務は1週間ほどでマスター(笑)。

それなりに楽しくやってはいましたが、あまり「職人」として成長を感じられる職場では正直なかったです。

 

そうこうするうちに、現地の女性と恋に落ち、結婚することになりました。

アメリカでは女性が大黒柱となって、男性が主夫をするケースは少なくなく、私たちの結婚生活もこの関係になっていきました…。が、9年後離婚することに(泣)。

主夫業に専念していたので仕事はしておらず、その時、40代前半。すぐに仕事が見つかるはずもなく、ホームレスも覚悟しましたが、マサチューセッツ州の冬の平均気温は氷点下…。

このまま冬を迎えれば凍死決定です(笑)。

心残りはありましたが、父がちょうどその頃急逝したことも重ねって、16年というアメリカ生活に休止符を打つことにしました。

 

帰国後は親戚の紹介で不動産会社に。

実は、私の父と叔父は以前不動産会社を経営していて、それなりの規模で分譲開発をしていたんです。幼少の頃はよく父に連れられて業者の会合などにも参加したりして、不動産業界は近い存在でしたし、世間で言われているようなネガティブなイメージも持っていませんでした。アメリカでは不動産業の地位は高いですしね。

 

入社後、営業経験もありますし、接客の仕事を長年してきたので、当然営業をやるのだと思っていましたが、就いた仕事は内勤の営業事務。

希望する職種とは異なりましたが、未経験でもチャンスをくれた経緯やいろいろとサポートもしていただいていたので、粛々と業務を全うしていました。

ただ、不動産の世界を日々過ごしていくうちに、これまで持っていた業界のイメージが崩れ始めていくのを感じていました。

会社の経営上仕方のないことだとは思いつつも、会社目線での仕事も多く、お客様に対して罪悪感を持つことが…。

入社して4,5年経った頃、やはりもう少し違うやり方があるのではと、アメリカで良く見ていた看板を思い出し、RE/MAXのエージェントとしての働き方を考え始めたんです。

 

調べてみると、近くにあったRE/MAX APEXというオフィスは、運よくオーナーがマイクさんという英語ネイティブの方。

アメリカにいる娘との連絡に英語力はキープしたいと常々思っていたので、自分らしく不動産の営業ができ、英語も使える仕事は私にとってベストな環境でした。

そして2020年2月、RE/MAXの不動産エージェントとして活動をスタートさせたんです。

■バイクで物件視察

さぁ、思いっきり仕事するぞ!と日本で不動産を探す外国籍の方向けにSNSやブログサイトで色々発信し始めました。

思っていた以上に効果的だったのが、『RE/MAXエージェントサイト』へのブログ投稿。

すべて英語で発信をしていたら、ぽつぽつ反響をいただくようになって、実際成約にも!

あとは、人脈を作るために外国人雇用の多い企業の近くのバーにも通いましたね。

もちろんお仕事くださいって言いまわるのではなく、交流をする中で、不動産の話題が出たら、お手伝いできますって手を挙げるんです。

まぁまぁな滑り出しで順調にスタートを切ったのですが、活動を始めて2,3か月で各国がコロナでロックダウン…。

反響がピタリと止まってしまいました…泣。

 

どうしたものかと一瞬頭を抱えましたが、止まってもいられないので、国内の方へのアプローチを検討…。

先述のとおり家業が不動産業だったので、実は地元ではそれなりに名前を知られているんです。だいぶ遠回りしましたが、父や叔父が残してくれた「信用」という財産を有り難く享受させていただき、地元の方たちからの相談も受けるようになりました。

今となってみれば、忘れかけていた繋がりを再構築する良いきっかけだったかもしれません。

 

不動産エージェントという仕事は、個人事業主なので、仕事をしなければ収入はなく、一定の収入を得られるようになるのは簡単なことではないです。だから、自分が主導的に動かないと成り立たちません。

でも、『エースで4番』になれるんです。

これまでサポートする側が多かったので、まずこれが嬉しかったですね。

エースで4番は自らアクションし続け、イイ球を見極めヒットを打つ。

チームのため、信じてくれるお客様のため。

もちろん、エージェント仲間のために時には送りバントも打ちますよ!

 

アメリカにいるとき、本当の意味での「職人」にはなれませんでした。だから今後は不動産の『職人』を目指していきたいですね。

日々成長できる環境ですし、私の成長はお客様にとっての幸せに繋がりますからね。
妥協せず、お客さまの一番を創る職人エージェントを目指します。

良くも悪くも私はオンオフが切り替えづらく止まれないので、目指すにはちょうどいいかなと(笑)。

むしろ、やり続けられることがあることは心地良く、この仕事のスタイルが合っているんだと思います。

 

コロナが落ち着き、海外からの流入も戻ってきたら、今度こそ得意(笑)!と胸を張って言える英語力を生かして、私がアメリカで優しくしてもらったように、困っている外国籍の方々のお手伝いも再稼働していきたいです。